2022年6月11日(土)にNHK総合で放送された「ブラタモリ」は「町田」でした。
番組内でタモリさん一行が訪れた場所をまとめてみました。
なお、番組の見逃し配信は「NHKプラス」で期間限定配信中です。(6/18(土) 午後8:14まで)
「なぜ東京・町田は”神奈川県町田市”と間違われるのか?」の謎に迫る
毎度おなじみの旅のお題は「なぜ東京・町田は”神奈川県町田市”と間違われるのか?」として、町田市はなぜ神奈川県に間違われるのかを探る旅となりました。
番組のスタート地点となったJR町田駅南口のエスカレーターはそれを如実に表している場所だと町田市教育委員会・学芸員の松崎さんは話します。
ヨドバシカメラ マルチメディア町田の向かいにあるこちらのエスカレーター。なんと左側の下りは東京都町田市、右側の上りは神奈川県相模原市と階段の中央部が県境になっている場所なのでした。
他にも「神奈中バス」や「横浜銀行」など神奈川県にゆかりのあるものがたくさん見られる「町田」。これにはタモリさんも「もう神奈川でいいんじゃないでしょうか」と思わずコメント。
多摩丘陵の成り立ちをみると町田は神奈川県との強い結びつきがあることを知ったタモリさん一行は、多摩丘陵の成り立ちが分かる地層を見学。
東京都立大の鈴木教授によると、その場所にはかつて相模川が流れ、長い時間をかけて水路を変えて石や土砂が堆積して現在の多摩丘陵の土台ができたそうです。神奈川県の石「トーナル岩」も見られることから「地質的にも神奈川なんだよね」とタモリさんもコメント。
続いて向かった「都立小山内裏公園」では、ふだんは立ち入りできない自然保護区の中を探索。ここには奈良時代から平安時代に焼き物を焼くための登り窯があったそうです。ここではかつて、相模国や武蔵国の国分寺で使われた瓦が作られたそうです。
曖昧だった国境が明確になったが、豊臣秀吉が太閤検地をはじめた頃。町田市役所の近くを流れる境川を国境としてことが由来しています。
タモリさん一行はその後「古淵鵜野森公園」に向かい、この日2度目となった鈴木教授と関東ローム層の地形を見学。境川の両岸には相模野台地がありますが、秀吉が境川を国境にしたことで狭く平坦な土地に人が集まり、現在の町田の中心地として発展してきたことが、町田と神奈川の結びつきが強くなった理由としていました。
冒頭のJR町田駅南口のエスカレーターの半分側が神奈川県相模原市なのは、この境川が蛇行していた頃の境界線が今も残った場所だったのでした。
これほど神奈川県との結びつきが強いのになぜ東京都なのか。最後に向かった先は「町田ぼたん園」。その広場はかつて、明治時代に自由民権運動に生涯をささげた石阪昌孝の屋敷があった場所です。
町田は自由民権運動が盛んだった場所で「町田ぼたん園」から少し歩いたところには、この日アテンドしていた松崎さんの職場「町田市立自由民権資料館」もあります。
かつて三多摩地域(南多摩郡・西多摩郡・北多摩郡)は神奈川県に属していました。松崎さんによると、玉川上水を一括管理したい当時の東京府と、自由民権運動を進めて神奈川の民衆から支持を得ていた石阪昌孝と対立関係にあった当時の神奈川県知事、内海忠勝の思惑が一致し、町田が東京都に属することになったといいます。
タモリさんは町田が神奈川県を間違われることについて「外部がごちゃごちゃ言うことではない。でもおもしろい変遷を通った街。こういう街はなかなかないですね」と番組を締めくくっていました。